07年(平成19年)1月末の三川町長選挙が早くも動き出しています。
富塚陽一・鶴岡市長が、三川町の合併出直し町長選挙で敗北したことから、何としても三川町を鶴岡市に編入させるべく、新たな候補者擁立に向けて画策していると話題になっています。
11月8日に藤島で「市長と語る会」が町内会長会の主催で東田川文化記念館明治ホールで開かれましたが、富塚市長のあいさつの冒頭は、三川町の阿部誠町長非難でした。
富塚市長は、「三川町長は自分から合併を申し入れながら途中で撤回した。市の職員は残業を続けて合併協議会の資料づくりに追われたがムダになった。政治のリーダーとしてどうかと思う」などと、新聞でも報道された言動を繰り返していました。
富塚市長にとって、三川町の編入合併は焦眉の課題です。
平成19年度予算編成では一般会計約500億円の1割に相当する50億円もの歳入不足が見込まれ、何としても三川町の財政を組み入れ、県の合併支援を受けなければやっていけない事態に追い込まれているからです。
藤島での富塚市長のあいさつで、「合併効果は地方交付税が単独の場合より7億3500万円増え、人件費は首長と議員の削減で6億円も節約になった。13億円の財源で、市民サービスが減らされる分を補うことが出来た」などと言っていました。
しかし、合併した旧町村の住民にとって、国保税や都市計画税の負担増大と補助金が5~10%の削減、独自事業の廃止などで、合併効果の恩恵を受けるどころか、合併のマイナス効果が直撃しています。
しかも、合併で町村から持ち寄った貯金(基金)は、18年度予算で13億円も取り崩して、残りは1億円弱しかなくなるのです。
合併による交付税増分7億円+人件費節約分6億円+基金取崩し分13億円の合計26億円を、18年度で何に使ったのか。少なくとも町村には負担増と補助金削減だけですから、使い道は旧鶴岡市内だけでしょう。
富塚市長は旧町村の財源を18年度で使い切り、19年度は三川町の編入で乗り切ろうとしていると思われてしかたありません。
先の合併出直し三川町長選では富塚市長みずから選挙に乗り込みましたが、多くの関係者が語るところでは、斎藤弘県知事にも直接の応援を要請し、それが東田川県議の知るところとなり、県議らが知事の来るのを止めたとのことです。
来年1月末の三川町長選挙で富塚市長が擁立を画策していると噂されている人は、三川町出身の農水省・元畜産課長で、現水資源機構理事のU氏(50歳代前半で若い)とのことです。
U氏はインターネットで調べるといろいろ話題のある方のようです。
参考までにhttp://www.rondan.co.jp/html/news/roran/
ちなみに「楼蘭」とはhttp://amet.livedoor.biz/archives/50183406.html
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サンデー毎日最新号に、佐高信氏が三川町長選挙について書いていました。
その記事を紹介します(私も庄内農業高校の教え子ですから掲載をお許しください)。
佐高信の政経外科 連載370
サンデー毎日
平成大合併に反対する山形県三川町の自立派町長が当選です
(矢祭町長・根本良一さんへの手紙)
拝啓 矢祭町長・根本良一様
先日は帯状疱疹(ほうしん)で痛い身体で、片道4時間半もかけて山形県東田川郡三川町まで来ていただいて、本当にありがとうございました。おかげさまで5日の選挙では自立派の町長が勝ちました。実は私は現地に行くまで根本さんが来られることを知らなかったのです。福島県矢祭町の町長で住基ネットへの接続を拒否し、合併しない宣言をしている根本さんのことは、隣の鶴岡市に合併せず、自立してやっていこうとしている三川町の人たちには話していましたが、まさか、彼らが厚かましくも根本さんにそんな依頼をしているとは知らず、いささかならず、あわてました。
それだけに夕方の講演に合わせて来町し、夜9時過ぎにまた帰って行かれた根本さんに報いるには、何としても町長選で勝ってもらいたいなと思っていました。結局、あの日は午前2時ごろに矢祭町に帰られたことになりますね。車で往復9時間、帯状疱疹はまたひどくなったのではありませんか。
根本さんの前座をつとめた講演で話したことでおわかりのように、当選した町長の阿部誠君は、私が郷里の庄内農業高校で社会科の教師をしていた時の教え子なのです。彼が町長として合併を推進していた時、私は何も言いませんでした。しかし、途中から合併に疑問を持ち、自立派に変わって、町長をやめ、改めて町民の意思を問いたいと言ったと聞いて、これは激励に行かなければと思いました。
合併へ合併へと雪崩を打っている中で、方向転換をすることは容易なことではないでしょう。もちろん変わったことについての非難も受けます。しかし、敢えてそれを承知で再び町長選に立つという彼に、教師としての責任を呼びさまされたような気がしたのです。私は生徒に、自立と、流れに抗することを教えたつもりでした。彼を支える教え子もそのことはわかってくれているようです。
根本さんほ、阿部誠のことは知らないけれども、私が応援に来ることを知って駆けつけてくれたとか。
私は講演で根本さんのことを話せばいいやと思っていただけに話題としては困りましたが、集まった町民に、具体的に合併しなくてもやっていけるということを話してもらって本当に感謝しています。
私のような口舌の徒とは違って、やはり、話に重みと深みがありますね。
実は、あの直前の10月26日付の『山形新聞』に私は「安易な合併に反対」という「直言」を寄稿していたのです。2、3ヵ月に一度書いているのですが、私はそこではこう断言しました。
「私は安易な市町村合併に反対である。大きぐなれば何とかなるでは何ともならない。それは問題の先延ばしでしかないのであり、大きくなって何とかなったという例をほとんど聞いたことがない。
私が断固としてそう思うのは、地方自治のリーダーとして私が尊敬する二人の自治体首長がいずれも合併反対論者だからである。
一人は鳥取県知事の片山善博氏。もう一人が福島県矢祭町長の根本良一氏だ」
やはり、上から押しつけた昭和の大合併では、板ばさみになったかなりの数の町村長が自殺したという根本さんの話も私の耳から離れませんでした。阿部誠をそんな目に遭わせてはならないとも強く思いました。
ただただ自分の手柄のように合併を無理強いする総務省の役人に理念はありません。それにしても愚かな彼らに抵抗するエネルギーの量は馬鹿になりませんね。
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